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枚方宿の歴史

寺内町・枚方

順興寺の寺内町として栄えた枚方

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旧枚方寺内町(現枚方町)の町並み
右手は順興寺の後身「願生坊」
戦国時代、浄土真宗中興の祖、本願寺第8世の蓮如上人は、北陸・畿内に教線を拡大し、文明10年(1478)には山城国山科に本願寺を建立しました。しかし、天文元年(1496)に山科本願寺が焼き討ちにより焼失したため、本願寺は大坂石山に移りました。これに伴い、大坂から近江・北陸という教団の本拠地を一本につなぐため、水陸交通の要衝となる地に、本願寺の宗主の縁戚を住職とする浄土真宗寺院を配し、寺内町を築きました。

枚方寺内町も、本願寺の大坂移転にともない建設された寺内町の一つと推測され、順興寺を紐帯とする自治的な町が形成されていました。順興寺の創建年代は明確にはわかっていませんが、天文12年(1543)に記された『天文日記』にその名がみえ、永禄2年(1559)には蓮如の第27子の実従(1498〜1563)が入寺して町を整備しました。

実従の残した日記『私心記』によると、枚方寺内町は「蔵之谷」「上町」「下町」の三つの町で構成されており、周囲は丘陵や人工の土塁や堀で守られていました。寺内町には、紺屋や油屋、味噌屋、鋳物屋、質屋といった商人や職人が集住し、淀川の三矢浜を流通拠点とした活発な商業活動がおこなわれたとみられます。

枚方寺内町は、織田信長の兵火によって16世紀後半には衰退したとみられていますが、寺内町の浜出し・浜揚げの港として利用された三矢の町が、やがて築かれる京街道枚方宿の中心街へとつながっていきます。