料理旅館「鍵屋」の沿革
料理旅館「鍵屋」は、創業を天正年間と伝えていましたが、定かではありません。古文書のうえでは、安永2年(1773)に「くらわんか船」の株仲間と餅売りの商人の間で起きた争論の際に作成された「御済配書写」(柱本煮売茶船仲間文書)に、鍵屋の当主とみられる「鍵屋太兵衛」の名が登場しています。
江戸時代後期の鍵屋は、商人宿などと記録にみえますが、幕末頃から格式の高い旅館となり、大正時代・明治時代には枚方きっての料理旅館・料亭に成長しました。
江戸時代の淀川は枚方側に食い込むように流れていたため、枚方宿でも鍵屋が立地する堤町のあたりは、屋敷の裏手がすぐに淀川の河岸に面していました。このような立地を活かし、淀川を就航する乗合船の船待ちを兼ねた船宿形式の旅籠が現れたようです。
鍵屋も、このような旅籠の一つと考えられ、裏手の船着場は、幕末頃には「鍵屋浦」と呼ばれていたようです。三十石船の船頭が歌った「三十石船唄」に「・・・鍵屋浦には碇がいらぬ、三味や太鼓で船止める」と歌われるほど有名になっていたのです。
長い歴史を持つ鍵屋は、平成9年に廃業しましたが、その建物は、水陸交通の要衝、枚方を象徴する貴重な歴史遺産であることから、敷地全体が枚方市指定の史跡に、文化8年に築造された主屋が有形文化財に指定されました。


